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週刊GM研 Vol.62
2002/09/07


【News Headline】
  • 続報:今後のプロ野球ゲームソフトの販売について
  • 【mini Review】
  • 漫画
  •  : FADE OUT(1)
  • 漫画
  •  : 彼氏彼女の事情(14)
  • 雑誌
  •  : 週刊ファミ通 9月20日号(vol.718)
    【COLUMN】
  • 無駄なモノこそが本当に必要なモノ

  • ■News Headline

     【続報:今後のプロ野球ゲームソフトの販売について 】 
     NPBニュース「今後のプロ野球ゲームソフトの販売について」

     8月26日にプロ野球選手会が、日本野球機構とコナミを相手取って起こした、選手の肖像権に関する提訴について、日本野球機構は、「今後のプロ野球ゲームソフトの販売について」というニュースリリースを発表しました。そのニュースリリースの要点をかいつまんで説明すると…
       

  • 選手会には肖像権を主張する権利は無い  
  • 今後もコナミ独占契約を継続する

     ということになります。機構側の論拠は「球団と選手との間に締結されている統一契約書第16条に基づき、球団は選手の肖像権等の利用について管理、使用の権利を有する」という条項であり、これは選手会側の主張を完全に否定するものです。そして「機構が保有する肖像権はコナミとの独占契約に含まれるものであり、今後とも野球ゲームソフトを引き続き制作・販売することには何ら問題はない」と述べています。

     これはあくまで機構側の見解であり、問題が解決したというわけではありません。この回答に対して選手会からの正式な声明はまだ発表されていませんが、両者の主張は完全に平行線を辿っていて取り付くシマがなく、レギュラーシーズン終了後に法廷での全面闘争に発展する公算が高くなってきました。

     ですが、そもそも、この問題はそういう次元の問題ではないと思います。問題の本質は、野球界にもゲーム界にも自身に内在しているのではないでしょうか? 日本球界は人気選手のメジャーへの流出に危機感を募らせていますが、一方、大リーグも、選手会がサラリーキャップ(年棒制限)制度の導入に対してストライキを武器に交渉した結果、全米の野球ファンから冷ややかに突き放されてしまった。結局、日本でもアメリカでも「高騰しすぎた選手の年棒」が野球人気凋落の原因であるのも、ひとつの事実なのです。

     私は記者として、これまで散々コナミを批判してきましたが、その一方で、アナリストとしては、コナミのソフトウェア開発力とマーケティング能力を非常に高く評価しています。私は「実況パワフルプロ野球」も「メタルギア」も大好きです。そして、コナミがスポーツ界の発展に少なからず貢献しているという実績も認めています。しかし、だかそこ今回の「あくまで機構と選手会の問題」という他人行儀なコナミの対応が残念でならない。ファンあっての野球選手であると同時に、ゲームは野球選手があって初めて成り立つのに… 本当にユーザーのことを第一に考えるならば、選手はプレーで、ゲームは作品で勝負するべきではないだろうか?


  • ■mini Review

     漫画【FADE OUT(1)】 いけだたかし 
     本屋をうろついていると、新刊コーナーに平積みされた1冊の漫画が目に止まりました。その絵柄を一目見た私は、「あれ?高橋しん先生のこんな連載あったかな?」と疑問に思い手に取ってよく見てみると、帯に付いていた「高橋しん」の名前は推薦文の署名であり、別人の作品なのだとようやく気付きました。パラパラとページをめくってみると…あれ?もう一度作者名を確認してみる。「いけだたかし」… あ、そうか! つまりこの人は、元アシスタントさんなのか!

     目の肥えた漫画読みは「絵柄だけで誰のアシスタントだったか分かる」そうですが、私の場合はそうではなく、今回のケースがあまりにも分かり易すぎたんですよ。何しろ絵柄どころかセンスまで高橋先生そっくりなんですから。あ、でも、これは悪い意味で言ってるんじゃないですよ。それは、しん先生のファンなら誰でも安心して読めるという事だし、それに、しん先生が描けない「しん先生流」を同じ遺伝子を持ったお弟子さんが広げるという事でもあるのです。この作品の今後の展開と同時に、作者の成長をじっくり見守りたいと思います。

     漫画【彼氏彼女の事情(14)】 津田雅美 
     彼(カレカノ)の最新刊は、いよいよ「有馬編」が佳境に!有馬の実の母との再会、そして知らされる忌まわしい過去。いままで雪野と両親に”冷酷で残忍な自分”を隠し通してきた有馬だったが、ついに心の奥底に鍵をかけて沈めていたパンドラの箱を開けてしまう。離れていく有馬の心、その時、雪野は…(以下、次号!)

     あ”あ”続きが気ーにーなーるー!月刊連載は毎月続きが気になって悶々とするのが嫌いなので雑誌では読まずに単行本を待つ主義なのですが、それが今回は裏目に出てしまいました。いつかはレビューも書いてみたいけど、ストーリーが完結するまでは多分書けないでしょう。作品論で1本書くくらい造作も無いことですが、ことこの作品に限っては、私自身がレビュアーであることよりも読者であることを強く望んでいるので、こんな中途半端な時点では絶対に書きたくないのです。

     雑誌【週刊ファミ通 9月20日号(vol.718)】エンターブレイン 
     「読者が選ぶTOP20」では、再び「街(サターン版)」の人気がジリジリと上がっています。サウンドノベルの新作「かまいたちの夜2」が出たばかりなのに、サウンドノベルファンの票は分散するどころか、むしろ元に戻りつつあります。現に私も毎週「街」に投票し続けています。これは「街2」への期待の表れなのか?それとも、「かま2」の評判の悪さを物語っているのか…微妙ですねぇ…

     ローソンのゲーム書き換えサービス「ニンテンドーパワー」のサービスが8月末で終了したことにより、同時に終了することになった「NP通信」の1/2ページ枠の後釜として始まったのが、新コーナー「やっちゃった同盟」です。著名人のゲームでの失敗談を語ってもらうという主旨のこのコーナー、第1回目の書き手は、キャメロットの高橋秀五(弟)さんで、お題は「ゼルダの伝説 時のオカリナ」。ただでさえ狭いスペースなのにイラストの面積が大きすぎるので、読み物として面白いかどうかは未知数ですが…

     今回の「ドキばぐ」に載っていた「ヒゲ下敷き」のネタですが、どういうわけか私が行きつけのアニメイトでは、漫画内で告知されたエンターブレイングッズを全く扱ってくれないんですけど、一体どうなってるんでしょうか?売ってすらいないのに「売れてない」と言うのは如何なものか?


    ■COLUMN

     【無駄なモノこそが本当に必要なモノ】   
     ちょっと前に、仕事先の上司がこんな事を言っていたのを思い出した。「無駄なモノこそが本当に必要なモノなんだ」。その話によると、人間にとって絶対に必要不可欠なモノというものは、たとえ僅かでも機能や速度が劣っていればストレスが溜まるものであり、相対評価かつ減点法で採点される。それに対して、人間にとって無駄なモノというものは、驚きや発見を伴う好意の視点で絶対評価かつ加点法で採点されるものなのだ… 要約するとそんな内容だったと思う。

     なるほど…確かにそうかもしれない。例えばパソコンだと、スペック上の性能がどれほど良くても、その感覚には時間と共に慣れてしまうし、他に高性能な製品が出るにつれてドンドン見劣りしてしまうものだ。その正反対なのが、ジーパンや皮の財布。どんなにボロボロになっても機能が決定的に損なわれない限り、それは「味」として評価の対象にさえなる。

     もっと身近な例を挙げてみましょう。例えば「学校の勉強」は学歴社会では必要なもの(とされているもの)ですが、実生活では、本や漫画やテレビやお婆ちゃんの知恵袋から得る「雑学」の方が遥かに役に立ちます。約80年の人生をもってしても、雑学の99%以上は発揮されることなく終りますが、それは本当に無駄なことなのでしょうか?いや、そうとは言い切れない。知っているという事実で安心感が得られるし、知ることで好奇心が満たされる。「知識」は自分の中で消化されて、やがて「知恵」になる。

     「無駄=余裕」と置き換えてもいいかもしれない。無駄を許容できる経済的な余裕・時間的な余裕。それは心の余裕と同義ではないだろうか?そう、それこそが、経費削減とコスト競争に明け暮れる今の日本に決定的に足りないものなのだ。設備投資を惜しみ、人材を育成する時間を惜しみ…それで本当に良いものが作れるわけがない… 日本は物質的な意味では歴史上類をみないほどに豊かな国になった。しかし、精神的な意味では歴史上類をみないほどに幼稚な国になってしまった。大きな犠牲を払って国を守った祖父世代を「無謀な戦争を引き起こした罪人」扱いし、恥辱にまみれながらも焼け野原から復興させた親世代を「オヤジくさい」と邪魔者扱いし…なんとも嘆かわしいことである。

     無駄なモノを「無駄」だと決め付けるのは容易いことだ。だが、本当の意味では、この世に無駄なものなんて何一つありはしない。その無駄が持つ意味・由来・活用法…想像力を働かせることで、点ではなく線、線ではなく空間として事象を認識できれば、「無」は「有」になる。自分以外のすべてを認識することとは、それは相対的に自分自身を認識することに他ならない。人間の自己認識とは、そんな果てしない無駄の連続によって維持されている、とさえ言えるのです。

     

     うーん、たまにコラムらしいコラムを書こうとすると、なかなか上手くいかないものですねぇ…話が飛躍しすぎで論点が定まっていません。でも、このような無駄や失敗があるからこそ、私は課題を持って次に進むことができるとも言えるのです。


    文責:GM研編集部編集長 gonta

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