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【メーカー側敗訴確定 中古ゲーム訴訟,最高裁が上告棄却】 ZDNN |
中古ゲームソフト販売の是非を,ゲームソフトメーカーと中古ソフト販売店が争っていた訴訟の上告審で4月25日,最高裁はメーカー側の上告を棄却。中古販売店側の勝訴が確定し,中古ソフト販売は合法と認められることになった。 訴えていたのはエニックスやコナミ,カプコンなど大手メーカー。中古ゲームソフト販売チェーンに対し販売差し止めを求めていた。2001年3月,東京高裁と大阪高裁はメーカー側に著作権法上の頒布権を認めず,メーカー側に中古ソフト販売の差し止め権はないとする判決を下し,メーカー側が上告していた。
この判決のポイントは、ゲームを「映画の著作物」と認めた上で、映画と同様の「頒布権(著作権者が譲渡などをコントロールできる権利)は存在しない」としていることにある。その論拠となったのは、映画とゲームの流通制度の違いにあります。
そもそも、映画の配給制度とは、映画製作会社や映画配給会社が、オリジナル・ネガフィルムから少数のプリント・フィルムを複製し、映画館経営者に対してプリントフィルムを貸し渡すにとどめ、上映期間が終了した際に返却させ、あるいは指定する映画館へ引き継がせるといった形態の制度です。頒布権とは、権利者側がフィルムの頒布先、頒布場所、頒布期間等を規制することができるという、極めて特殊な権利なのです。
確かに一読すると非常に強力な権利のように見えますが、映画の配給制度というものは、意外とシビアな制度だったりもします。映画というものは、どんなにお金をかけて作っても、観に来てくれるお客さんがいないと商売にならないから、不人気作品は容赦なく上映が打ち切られます(FFの映画みたいにね)。映画館の数は簡単に増やせないので、映画館側からいても、配給側にしても、興行収入を得られる人気作と入れ替えるのは当然の理です。フィルムはどうせ返却する借り物だから、映画館側が外れを掴んでも被害は最小限で済むわけです(リスクの代わりに、配給会社側の都合に従わざるを得ないけど)。
それに対しゲーム業界の流通機構は、昔ながらの玩具流通の延長線上にある「小売店買取型」であり、売れないからと言って返品なんてできません。在庫はすべて小売店の損になってしまいます。大量の在庫を小売店に押し付けて、出荷本数と実売本数が激しく異なる「初日〜第1週で売れるだけ売って、後は売り逃げ」状態のゲームも少なくありません。大手メーカーになると自社流通で小売店と直接取引きをしている所もありますが、その実態は、それはもう酷い有様です(取引中止をちらつかせて売れもしない在庫を…こ、これ以上は酷すぎてとても書けません!)
この判決に対して、敗訴したメーカー側の会見には,コンピュータソフトウェア著作権協会(ACCS)は、今後、司法ではなく立法を動かす事によって、あくまで争う構えである。「エイベックスがコピー防止機能付きのCDを発売して問題になっているが,このままなら,(ゲームソフトでも)固有のハードじゃないと動作しないようなアクセスコントロール技術(IDコードなど)を搭載したゲームソフトが登場する可能性だってあるかもしれない」、などとACCS側は言っているが、問題の種類を取り違えないでいただきたい!これはゲームの流通制度そのものの問題なのです!!
なぜ中古がなくならないか?それは中古でしか手に入らないゲームがあるからです。ユーザーは、決して銭金の優劣だけで中古ゲーム屋を利用しているわけではありません。毎週毎週、粗造乱造で発売される大量のゲームは、小規模のお店では入荷さえないこともある。売り切れて再発注をかけてもまともに取り合ってくれないことすらあります。旧世代機種のソフトは言わずもがな。販売機会を阻害しているのは、むしろメーカー側の体質の問題なのでは? ただでさえ利幅の少ないゲームソフトをリスクを背負って販売している小売店の努力を無視して、権利と利益だけを主張するのは、お門違いを通り越して恩知らずと言われても仕方がない。
ゲームを文化として認知させたいのであれば、ゲーム会社はもっと歴史の継続性に重きを置く必要があると思う。浅い歴史の中で、ハードの世代交代を繰り返して過去を葬りながら、新しいものを追い続けてきたゲーム業界は、大きな歪を抱えてしまった。利益を確保できないゲームの企画は通らないから続編ばかりでユーザー数は先細りする一方です。昨今頻発する青少年犯罪へのゲームの影響は全否定することはできませんが、それはゲームそのものが悪いのではなく、「ゲームの定義」が伝わっていないからです。昔を知らない若者はステップなしで美麗&過激なゲームから入ってくるので、現実と仮想を区別して楽しめるような想像力の余裕を身に付けられないのです。
文化とは、次の世代に遺し・伝えてこそ初めて意味を持ちます。製作側と経営側とユーザー、この3者の関係がこのまま悪化してしまったら、ゲームは文化としても産業としても滅びの道を歩むことになるでしょう。ゲームの歴史の分水嶺は、今まさにこの時なのかも知れません。
【天(18)】 福本伸行 / 近代麻雀 |
最強最高の麻雀劇画「天」の最終巻がついに発売されました。連載期間は14年4ヶ月にも及んだこの作品がなければ、「アカギ」も「銀と金」も「カイジ」も生まれなかった。いや、それどころか漫画家:福本伸行は存在しなかっただろう。そんな特別な作品だからこそ、この最終巻の巻末には、珍しく福本先生のあとがきが載っています。そこでは、東西戦後の2人麻雀から赤木しげるの死まで単行本7冊にも及んだ「蛇足」について、公式見解が示されています。主人公のはずの天を最後に三枚目に仕立ててまでして、最終3巻では麻雀雑誌の漫画でありながら麻雀すらせず、読者の誤読を恐れずに「死」というテーマと真剣に対峙した。そこから読み取れたのは、最後まで描き切ったという満足感でした。この作品は福本伸行作品の漫画哲学を語る上で、欠かすことの出来ないものとなるでしょう。 |
【てけてけマイハート(2)】 竹本泉 / 月刊まんがライフ |
永遠のノホホン漫画家こと竹本泉先生が、4コマ漫画雑誌の「月刊まんがライフ」で連載している(でも4コマ漫画ではない)ノホホンとしたラブコメ(ギャグ?)漫画の第2巻です。竹本先生は、上記の福本先生とは正反対で「あとがき漫画家」と言われるほどですが、今回はあとがきは少な目です。なにしろ、この漫画は連載本誌では2色カラーであり、単行本ではすべて1色に直してあるので、とんでもない作業量です。それを「個人の趣味だから」で片付けてしまうあたりが、なんとも素敵な漫画家ですな。詳しい内容はいつか(いつ?)書くレビューでご紹介することにしましょう。 |
【ドリマガ vol.356】 ソフトバンクパブリッシング |
今号の巻頭特集はPCゲームの「うたわれるもの」ですが…読めば読むほど面白そうには見えなくなるのは気のせいでしょうか? サンデーの「勝手に改蔵」の中でも「Leafの開発室とファンとの間違った距離感」についてギャグにしていますが、いやはやなんとも…すでに「無かった事」にされてしまった「誰彼」といい、バグだらけのDC版「こみパ」といい、最早シャレになりませんなぁ…(遠い目)
今週の「セゲいち」は「サクラ大戦4発売後の終わり行くDCソフトラインナップ」というテーマでしたが、ついついその姿がTLS(トゥルーラブストーリー)と重なってしまいました。いや、ホントにシャレにならないのでギャグにはできないかも。せめて一条の光明でもあれば… (「セゲいち」の隣の巻田佳春さんのイラストエッセイで「悪代官」への期待が書いてありましたが、すでに各方面で話題沸騰中で、もしかすると大化して大ヒットになるかも?) |
【週刊ファミ通 vol.700】 エンターブレイン | ||||||||||||
※コメントの内容は私の主観によるものであり、ファミ通レビュアーとは無関係です。 いよいよ通巻700号を迎えたファミ通は、大増量400ページ!さすがにこんなページ数だとホッチキスの針が通らないので平綴じになるのは仕方がないのですが、紙の質まで変わっているし、レギュラーコーナーの配置が換わっていて読みにくいったらありゃしない。立ち読みしてると疲れるしね。450円でこんな分厚い雑誌が作れるのは立派ですが、オマケはむしろ無駄かも。「アイロンプリント」はもう少しマシな絵柄をチョイスして欲しかったし、「どうぶつの森カードe」はゲームキューブを持ってないので意味なしです。唯一、応募者全員サービスの「ゲーム機型ストラップ」はナイスデザインなので、Xbox以外の3つに申し込むことにします(応募件の数の関係上、週刊ファミ通だけでは3枚しか集まらないしね)。 「未来に残したいゲーム」では、56タイトルが発表されましたが、比較的新しい大作ゲームや続編ばかりになってしまって残念です。「風来のシレン」や「MOTHER」はむしろ「1」の方に歴史的意義がある気がしてならない。「ファミスタ(元祖)」や「弟切草」のようなエポックメイキングな作品が入っていないのも不満です。(ドラクエが「VI」だけランクインしていないのは、笑っていい場所ですか?) こういう記念号はデータやお馬鹿記事で楽しむものですが、レギュラー記事に混ざっていて大変読みにくいです。増刊号で1号限りの「ファミコン通信」とかやっても面白かったのに。次の記念号は765(ナムコ)号? |
【理想の店員とは?】 |
4月も終わり近づいてくると、いろんなお店に研修期間を終えた新人さんが実戦投入されてきます。詳しい話は4月27日の「所長日記」に書いてありますが、その日、行きつけのお店で、新人店員の対応によって大変不快な思いをしました。誰にでも新人時代というものはありますし、失敗からしか学べないこともあるでしょう。しかし、サービス業においてサービスの質を落とすという事は、お店の信用に直結する問題であり、教育に対してもっと真剣に取り組んでいただきたいものです。今回のコラムでは、私が考える理想の店員像について考えてみましょう。
私が考える「理想の店員」の条件とは… ・過剰な「いらっしゃいませ」は鬱陶しいのでやめましょう
・店員同士の私語は慎みましょう
・お客の質問に対して無責任な回答をしてはいけない
・お客様は「神様」ではなく、あくまで「人間」
これはあくまで私の中の基準です。しかし、マクドナルドのように行き過ぎたマニュアル教育は、確かにサービスの平均化をもたらしましたが、その反面、サービスレベルの平均値を下げてしまいました。マニュアルにない予期せぬ事態に直面するとすぐにパニックを起こしてしまったり、なんでもかんでもマニュアルどおりに対応する「事なかれ主義」がまかり通ってしまうのは許せません。店員レベルでお店の方針に逆らえとは言いませんが、たとえバイトであっても、自分の裁量の範囲で改善できるポイントはいくらでもあると思います。 どうか、プロ意識を持って自分の基準で考えて行動し、サービス業のプロフェッショナルを目指していただきたいものです。 |
文責:GM研編集部編集長 gonta