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【アスキー、ゲーム関連事業から撤退】 GAMESPOT |
アスキーが、すべてのゲーム関連事業部門(ゲームソフト・ゲーム用周辺機器・ネットワーク用ゲームの開発および販売)について、2002年3月31日をもって撤退しました。かつては「日本のビル・ゲイツ」とさえ呼ばれた西和彦社長のもと、総合デジタルパブリッシャーへの道を突き進んでいたアスキーだったが、西氏の強引で性急過ぎた過剰な先行投資が経営を圧迫し、主力部門だった出版部門からは小島文隆・塩崎剛三氏を中心とするクーデーター未遂も勃発し、一連のお家騒動と経営不振の責任をとって、西氏は社長の座を追われた。その後、CKSグループからの社長と取締役を受け入れて経営再建に乗り出したが、負債は減るどころか増える一方だった。
赤字を出し続けるアスキーがこれまで曲がりなりにも存続できたのは、親会社だったCSKグループの大川功会長の温情によるものであった。大川会長は「日本ベンチャーの父」と讃えられる大人物であり、赤字に苦しむベンチャー企業を幾度となく私財提供によって救ってきた。しかし、昨年大川会長がこの世を去ったことで事態は暗転。アスキーはCSKグループから株式放棄というグループ追放措置を受け、孤立無援の状態になってしまった。その放棄された株式の受け皿となったベンチャー投資グループは、抜本的な経営再建に着手し、株主の利益を守るためには会社解体すら辞さない構えである。ゲーム部門の廃止はその一端に過ぎないのだ。
「ウィザードリー」「ダービースタリオン」で一時代を築き、ちょっとマニアックなところでは「トゥルーラブストーリー」や「RPGツクール」などを世に送り出してきたアスキーだが、アスキーは純然たるゲーム会社ではなく、あくまで「ソフトパブリッシャー」である。ダビスタを作っていたのは「パリティビット」の薗部さんだし、ウィズは移殖ものだし、TLSもRPGツクールも製作会社に外注(外部発注)したものである。このような開発・販売の手法は「エニックス」と同じである。
だが、なぜ同じ仕組みのソフトパブリッシャーでありながら、これほどまでの差が出来てしまったのか?決定的に違ったのは、パブリッシャーとしての徹底度である。場当たり式にプロジェクト単位の外注感覚でゲームを作ってきたアスキーと、長期的スタンスで開発会社と人材の育成・確保をしてきたエニックス…シリーズを重ねるごとにその差が広がっていくのは当たり前の事である。
また、せっかく「出版」という強力なメディアを持っていながら、アスキーはあまりに無策だった。自社製品のゲームなのに扱いが小さいし、グッズはろくすっぽ作ってくれないし、ゲームの公式ホームページすら更新されない体たらくである。雑誌部門が子会社として独立して「エンターブレイン」になってからは更に利潤追求型の悪癖が酷くなっていった。自社製品を根気よく育てようともせず、金になる他社製品に便乗するような編集姿勢…未だに「ドラクエIV」を4コマ漫画劇場でサポートしているエニックスとは大違いである。
結局、アスキーは潰れるべくして潰れる。それだけのことである。問題はゲームの版権の行方である。開発が進んでいるものはエンターブレインで発売されると思うが、すでにシリーズ終了・もしくは棚上げになった企画はどうなってしまうのか?開発の意志のあるメーカーが手を上げれば版権を丸ごと売るのか?それともライセンス化するのか?お抱え開発会社はどうなるのか? 現時点では「ゲーム事業を止めます」と発表しただけで、業績への影響すら算出できていない段階なので判らないことだらけだ。6月の株主総会までには何らかの進展があるだろうから、引き続きアスキーの動きを監視しなければなるまい。
※個人的には「TLS」シリーズの存続を願いたいところですが、メインスタッフが四散してしまったし、コナミラス帝国やギャルゲーブローカー「NECインターチャネル」に買われるくらいなら、いっそこのまま静かに幕を閉じた方が良いのかも…(遠い目)
【ときめきメモリアル3 もえぎのピアノ音楽集】 コナミ |
「ときメモ3」の隠しキャラ「和泉穂多琉」の趣味:ピアノにちなんで、恒例のピアノアレンジCDのイメージキャラクターに起用されたようです。穂多琉ファンであり、なおかつピアノ音楽大好き人間の私にとってはこれ以上ない組み合わせです。アレンジの種類としては、原曲に大きく手を加えるのではなく、なおかつ、一応高校生が弾いているという設定なので複雑な和音は極力使っていない。「シンプルな音色でこそピアノの特性が活かされる」というのが私の持論なので、この点では大満足です。でも、ときメモ3の原曲自体に印象的な曲が少ないのが残念でならない。 |
【よしえサンち(1)】 須賀原洋行 / 週刊モーニング |
週刊モーニングで連載中の「よしえサンち」の第1巻です。雑誌連載で毎週読んでいるのですが、こうして単行本になってから読んでみると、またちょっと違った味わいがあります。雑誌では限られた時間内で、かつコンビニで立ち読みをしているので、じっくり読むことも爆笑することもできないですからね。4コマ漫画とは、読み流せる軽さと、繰り返し読める読み応え、両者のバランスが大切だと思う。もうかれこれ15年来のS先生漫画のファンをしていますが、未だに新鮮さを失わないのは、実在するキャラキャラクターがリアルタイムで日々成長しているということと、作者も読者も歳月を重ねることで変化しているからでしょう。私にとって「家族とは?大人とは?」経験も実感のない世界ですが、15年前の自分とは明らかにこれに対する物の見方や距離が違っています。一生付き合える漫画に出会うというのは、最高に素敵な漫画の楽しみ方なのではないでしょうか? |
【電撃萌王】 発行:メディアワークス / 発売:角川書店 |
う〜む、いよいよ電撃が「萌え雑誌戦争」に参戦ですか。元祖萌やしっ子雑誌「電撃G'sマガジン」で「シスタープリンセス」をヒットさせた実績を持つ電撃の参入によって、今後、同業雑誌間で仁義無き大手同人誌作家の奪い合いが展開されそうです(作家が被りまくりの「マジキュープレミアム」あたりが真っ先に潰れそう)。表紙の「あずまきよひこ」の絵につられて買った人も多いかもしれないけど、表紙とポスターだけで漫画はありませんよ(「あずまんが大王」が終ったので今後何か描くという可能性はある)。全体的なエッチ度は同業他誌ではもっとも高い。漫画よりもイラストに特化したのは、この業界では正解かも。(でも、こうして同人系雑誌が増えることによって、プロと同人の境目がもっと曖昧になってしまう弊害もある。最終的には作家さんの姿勢の問題なのだが…) |
【週刊ファミ通 vol.696】 エンターブレイン | ||||||||||||
記事のほうでは、ようやく詳細が発表された「スターオーシャン3」だけど、美麗すぎるグラフィックとアニメチック3Dキャラとのギャップに違和感が…ゼノサーガを見てしまった後では、この程度のクオリティでは納得できませぬ。いつものことながら、トライエースの開発スピードは遅すぎです。2002年内の発売すら怪しいものですな。 「かいたちの夜2」もようやく正式に発表されました。シナリオ監修は前作から引き続き「我孫子武丸」氏、音楽には雅楽の「東儀秀樹」氏とピアノの「羽毛田丈史」氏を起用するなど、ゲーム業界外からのトップクリエータによるコラボレーションを実現。「面白さ百発百中」のチュンソフトのことだから、「街」以降、発明的作品が出ていないサウンドノベル業界に新風を巻き起こしてくれるであろう。 ソフトウェアインプレションでは、ファミ通の元ときメモ番記者「MIDIはらふじ」氏が「ときメモ3」について書いています。「なぜときメモ3が不評なのか」について書かれており、昨今のギャルゲーの動向を交えて「ときメモに何を求めるのか?」を考察しています。私にも考えを同じくするところが多々ありました。でも、今やソフマップでは新品が1980円の大投売り、Playstation.comですら72%offセール状態です…ゲーム内容そのものは世間で言われているほど悪くないのだが、結局、製作側とユーザーの求めていたものがあまりにも違っていたのだろう。南無〜 |
【中古ゲームの功罪】 |
中古ゲームは是か非か? 数年前にこの問題が大きく取り上げられていた当時に比べれば、「メーカー団体 VS 販売店団体」の派手な訴訟合戦が話題に上ることもなくなり、沈静化したように見える。しかし、法的には何も結論が出たわけではなく、訴訟も一部ではあるが継続中である。最近はTSUTAYAが独自にメーカーへの利益還元(2%還元)を決めたり、ゲーム販売団体の組織一本化などよって、水面下で妥協点が探られている。
ゲームビジネスにおいて、なぜ中古ソフトが問題になるのか?それは、ゲームが昔のように儲かる商売ではなくなってしまったからである。10万本でヒット、50万本で大ヒット、100万本なんて年に1本あるかどうかという世界である。大作ゲームは卸値も高くて入荷量が少ない。大手ゲームショップならメーカーと直接取引きができるからいいが、小規模ゲームショップでは昔ながらの問屋を介するので中間マージンが発生してしまう。その分、多少のリスクは問屋が負ってくれるが、ゲームに疎い問屋では人気ゲームの入荷量の読み間違いも多い。一方、大手ゲームショップは大手メーカーとのしがらみが発生するので、売れもしないゲーム(某ときメモ3、某Xboxなど)を大量に押し付けられれしまうこともあったりする。 メーカー側は中古ゲームによって「販売機会が損われている」と言っているが、実際には最近は毎週大量に新作ゲームが発売され、小規模の販売店では、新作ですらすべて入荷することができないことすらある。それに、もし中古ゲーム屋がなければ、数年前のゲームやマイナーなゲームを入手できなくなってしまう。それはユーザーにとっても、ゲーム文化の保存という観点からも「ゲーム機会の損失」ではないでしょうか? 中古販売の利益の数%をメーカーに還元するという妥協点が探られているが、メーカー側にも歩み寄りの工夫が必要なのではないだろうか?中古を買うことのメリットが薄くなれば、自ずと新品ゲームの売上も増えるだろう。その提案として、時期変動制の定価を導入してみてはどうだろう? オープンプライスは定価を誤魔化すための姑息な手段だが、変動定価制は発売後の販売状況によってメーカーが自由に値下げを出来る制度である。販売店に対しては従来の売り切り制ではなく委託制を導入して、販売価格に対してメーカー利益と小売店利益を一定の%で分け合うことにする。メーカーにとっては返品の恐怖に怯えることになり、完全な実力本意の競争となる。しかし、メーカーの大小に関わらず販売店にゲームを置いてもらえるし、アクティブに値下げを出来るので中古にも価格面で対抗できる。様々な問題が考えられるが、メリットも大きいと思う。これについては、後日、また深く考察してみるとしよう。 ブロードバンドが標準化されれば、ゲームソフトもダウンロード販売になると言われているが、現在のような売り逃げとも取られかねないぬるま湯商売に浸っていた業界が、その劇的な変化に対応できるのだろうか? 問屋も小売店もすべてブチ抜いて、ユーザーとメーカーが1対1で向き合うことになる。より一層、メーカー・作品ブランド・クリエータへの信頼が求められることになるだろう。今を生き抜くことも大切だが、次の時代を見据えた先手を打つ時期に差し掛かっているのかもしれない。 |
文責:GM研編集部編集長 gonta