Weekly Web Magazine
週刊GM研 Vol.101
2004/04/18


【News Headline】
  • イラク情勢:民間人誘拐・自衛隊撤退脅迫事件
  • 【mini Review】
  • 漫画
  • : 賭博破戒録カイジ(13)(完)
  • 雑誌
  • : 電撃萌王 Vol.9
  • 雑誌
  • : ドリマガ 4月23日号(vol.402)
  • 雑誌
  • : 週刊ファミ通 4月30日号(vol.802)
    【Weekly Column】
  • 週刊GM研 復刊の辞

  • ■News Headline

     【イラク情勢:民間人誘拐・自衛隊撤退脅迫事件】 
     ますます混迷の度を深める一方のイラク情勢ですが、そんな渦中の4月8日、3人の日本民間人が武装勢力に身柄を拘束され、「3日以内に自衛隊を撤退させなければ3人を殺す」と要求されるという、例を見ない非常事態が発生しました。カタールの衛星テレビ局「アルジャジーラ」を唯一の窓口にして伝えられる武装勢力からのメッセージに…交渉の窓口さえ設定できずにいた日本政府と、マスコミの「被害者第一主義」によって祭り上げられた被害者の家族たちは、不確かで限られた情報に一喜一憂を繰り返すことになる。一旦は示された24時間以内解放の意志。しかし、実際に身柄の保護が確認できるまでは更に数日を要したし、無事に保護されてからも、「イラクに残って活動したい」という被害者の発言を巡って、マスコミたちは一国の首相をも巻き込んだ感情論争に終始し…まったくもって、どこまでも御目出度い国である。

     事件について整理してみましょう。…といっても、この事件はまだ解決はしていないんですけどね。確かにこの3人の日本人と、後に更に誘拐された2人の日本人については解放されましたが、イラクの情勢は何一つ変わってはいません。武装勢力による外国人誘拐事件が今後も発生する可能性は極めて高いと言えますし、更に状況が悪化すれば誘拐という迂遠な手段ではなく、テロによる直接的な手段に訴えてくる危険性があります。日本の一件のみを持って事件が終わったような認識をしている日本政府の対応には大いに問題があると言えます。

     さて、事件がまだ継続している「戦地」であるイラクですが、日本政府は渡航を禁止していません。いや、正確に言うと、イラクに入国するルートになっている隣国のヨルダンへの渡航を禁止していないのです。NGOやボランティアが勝手に行く分については、渡航後の目的と行動までも完全に制限することはできませんからね。そこまでやったら、それは「イラクは戦争状態だ」と政府が認定してしまうことと同義であり、そうなると自衛隊の「平和地域への派遣」という名目が崩れてしまいますからね。

     今回の3人については、危険を承知の上だったという。家族の制止も現地のタクシードライバーの制止も聞かず、危険地帯のファルージャを越えてバグダットに行こうとしたという。そして、解放された後には「それでもイラクに残って活動したい」と言ったという。この一連の行動と言動について、危機意識の欠如と周囲にどれだけ迷惑や心配ををかけたか認識していない、という点を巡って非難するコメントが各所で沸き起こっていた。それはもちろん当然のことなのだが、しかし、問題にすべき事はそこではあるまい。「帰って来たら叱ってやらなくちゃ」(by葛城ミサト)このセリフを言っていいのは、3人の家族たちだけなのですから。

     政府がすべき事は、今後このような事件は起きないように残留邦人に対して退避「命令」を出すことである。3人の自覚の無さに問題をすり替えて責任転嫁して、健康診断やチャーター機の代金を本人負担にして請求する、なんてアホな事をやっている場合ではなかろうに…そして、マスコミがやるべきことは、彼らの活動が現地の人々に理解され協力してくれたことが事件の解決に繋がったという背景を正確に伝えることと、政府の無為無策を厳しく追及することである。知識人どもはすぐに「アメリカとの関係がどうのこうの」という議論を持ち出してしまうが、そんな非現実的な空論は非常時には何の役にも立ちません。イラクの復興のために自衛隊を送ったのか、それとも、アメリカの占領統治の片棒を担ぐために自衛隊を送ったのか?その辺を内外に対してハッキリさせておかないと、今後も日本はテロの脅威に晒され続けることになるだろう。


    ■mini Review

     【賭博破戒録カイジ(13)(完)】 福本伸行 / 週刊ヤングマガジン 
     ギャンブル漫画の金字塔「カイジ」の第三章「欲望の沼」が遂に完結!難攻不落の要塞の防壁を、誰も想像し得ない手段で覆し、あまつさえ逆手にとって利用してしまう。細工には細心の注意とともに、敵の注意をひきつけるために撒き餌として血を流し肉を切らせておいて、その油断に漬け込み骨を絶つ。そして、目も眩む大勝利!このカルタシスがたまらなく面白い。でも、そこはそれ。お約束通り勝利の後には思わぬ落とし穴があったわけですが…(ネタバレなので伏せておきます)。しかし、この最終巻での最後のエピソードがあったからこそ、カイジが単なるギャンブル漫画に終わらない所以があるのかも知れません。世の中には「金以上に重いものがある」ということを…兎にも角にも、またしても素寒貧に戻ってしまったわけだし、帝愛の兵頭会長との決着もまだついていないので、おそらく第三部の連載がいつか始まることでしょう。果たして、失脚した利根川や一条の再起はあるのか?帝愛のナンバー2のはずなのに地味だった黒川の出番はあるのか?そして、今度はどんな狂おしい新種のギャンブルを創造してくれるのか…楽しみに待ちたいと思います。

     【電撃萌王 Vol.9】 メディアワークス 
     創刊以来、読者アンケート1位を走り続け、単行本第1巻もようやく発売されて、ますます人気加速中の「こはるびより」ですが、今回は8ページ丸まる単行本CMの番外編になっています。しかし、そこはソレ。もちろん普通にCMだけで終わるはずがなく、やっぱりやってくれはりました! 雑誌の2周年記念の色紙プレゼントにサービスのつもりで2枚提出したら、「デザインはもう変えられない。他の作家さんをさしおいて枠を2つも取るな」と編集サイドに怒られた事に対して、漫画内でのプレン前途告知を「10名様に」増やして抵抗(笑) いや〜すばらしいサービス精神でござるなぁ。

     雑誌全体も多少リニューアルされましたが、漫画のページがひとまとめになって読みやすくなりました。新連載の「夢みたいない星みたいな」は…寄宿舎・カトリック系・お嬢さま・ツインテール+縦ロール・白ニーソ、というに「萌えの記号」が満載ですが、ついつい「マリみて」を連想してしまうのは気のせいですか?確信犯的に狙っているとしか思えないんですけどねぇ…(個人的には、これはこれで好きですけど)とりあえず今後にも期待しましょう。

     「萌える英単語(略して、モエタン)」のイラストで一気に有名になったPOPさん(いや、POPさんのイラストがあったからモエタンが売れたのかも?)。「週刊わたしのおにいちゃん(略して、ワタオニ)」の大ヒットにも見られる通り、「萌え=幼女志向」のような認識が世間一般にも浸透しつつあるようですが…幼女絡みの困った事件が頻発している昨今、P31・32のワタオニ宣伝漫画の内容は、何かと問題があるのではないだろうか?もちろん、オタクサイドの人間はこれを「ギャグ」として読んで笑えるだけの前提知識があるけど、そうでない人にとっては在らぬ誤解を招くのでは…って、そんなことを言い出したら、萌王という雑誌は丸ごといかがわしいんですけどね(苦笑)。もっとも、その「いかがわしさ」言い換えれば「秘め事」だからこそアブノーマルな面白さがあるわけなんです。オタクがみんな危険人物なのではなく、妄想と欲求を仮想で上手に解消できないごく一部の不幸な人に問題があるのです。せっかく、これだけ上質な妄想アイテムが本屋さんに転がっているというのにね!その辺を堅気の方にも理解しておいて欲しいものです。

     【ドリマガ 4月23日号 (vol.402)】 ソフトバンクパブリッシング 
     Beep!復刻号が無事に出からなのか、本誌の方もようやく「らしさ」を取り戻しつつあるようです。「逆転裁判アンコール」や「学園伝奇(ジュブナイル)特集」などの企画記事にこそ、他のゲーム誌にはできないドリマガだけの魅力があるような気がします。若干いつもより雑誌の厚みは薄く感じるけど、私は、大作ゲームの攻略記事を100ページ乗せるよりも、4ページ前後でも気合の入った企画記事を読みたいと思う。その数ページのためだけに550円を払って惜しくない、そう思わせるくらいの濃い記事を今後も期待しています。

     鶴見六百氏のコラム「嘘六百」に久々に深く頷いてしまいました。本来、私はこのコラムが好きではありません。読んでいると腹を立ててしまうことも少なくない。もっとも、それは、読み手の理性という奇麗事ではなく、核心と本音を抉り出すだけの鋭い内容を持っているのだという、逆説的な褒め言葉なんですけどね。さて、今回のテーマは「雑誌のゲームレビューの意義」。私も素人ですがレビューを書く者の一人ですので、これは他人事ではありません。雑誌のショートレビューや点数評価は、消費者側にとっても売り手側にとっても、もはや購入指針としては機能していないことは明白なのですが、点数付けという行為自体が雑誌のアイデンティティであり自己目的化してしまっている。最近良く聞く「遊び手と作り手との温度差」という現象は、相互を結ぶべきメディア(ゲーム雑誌)の体質が実勢から乖離してしまっていることによって引き起こされているのかしれません。鶴見氏は、レビューの意義を消費者の「教化」と製作者の「評価」と定義しています。なるほど、確かにそうですね。「このゲームはこんなに面白いんだよ」と伝える手段として、判りやすく点数をつけたり、クリエイターを前面に出してアピールする、ゲーム雑誌の手法は間違いとは言いませんが、それはあくまでも手段の1つでしかありません。実際に読者が何を基準にするのかというと、それはレビューを書いた人と自分の嗜好や感性が合うかどうか、その審美眼を信頼するに足りるのか、これに尽きます。雑誌自体に統一的な基準や指標を求めるなんてことは誰もしませんし、ゲームをクリアするわけでもなく、数時間の内容のみで毎週何10本ものゲームを評価していて、すべてを信用しろという方が無理があります。この問題については、次号でも取り扱うようなので、週刊GM研でも引き続き考察していく事にいたします。

     【週刊ファミ通 4月30日号(vol.802)】 エンターブレイン 
     ファミコンミニの第2弾発売が決定。ソフトラインナップは「マリオブラザーズ(初代)」「クルクルランド」「バルーンファイト」「レッキングクルー」「ドクターマリオ」「ディグダグ」「高橋名人の冒険島」「魔界村」「ツインビー」「がんばれゴエモン!からくり道中」の10本。第1弾でのサードパーティーはナムコとハドソンのみで、現在でも任天堂と良好な関係にある会社に限られているのでは?と邪推していたが、第2弾ではコナミとカプコンからも選出されているので、多分思い過ごしなんでしょう。第1弾の販売本数は、10本の合計ですでに115万本を記録し、6月からは北米でも販売されるし、第3弾の発売も十分にありえるでしょう。ただし、第2弾の発売とともに第1弾の受注を終了するというのは、なんとも勿体無い話である。それでは、何のための復刻なのか分からないし、薄利多売であっても中古を抑制する効果もあるのになぁ…

     「魔界戦記ディスガイア」や「ファントムブレイブ」などのタクティクスRPGで知られる、日本一ソフトウェアの新作「流行り神」の記事を読んで大いに驚きました。ホラーアドベンチャーゲームですか…まったくイメージの異なるジャンルへの挑戦であり、日本一作品の長年のファンの私も少々戸惑いましたが…なるほど。ロジックを組み立てたり自問自答で情報を整理したりと、確かにシステムの捻り方に「らしさ」が見え隠れしていますね。最近は北米での現地法人を立ち上げて本格的に海外展開を始めたし、PSPへの参入予定を聞くメーカーアンケートでも「主なゲームメーカー」として名前が挙がるまでのビックネームになっていますしね。ファンとして新しい挑戦は大いに歓迎しますが、アトリエシリーズで一山当てたガストの黒歴史「フレースヴェルグ」の二の舞になるのは勘弁してくださいね(切実)


    ■COLUMN

     【週刊GM研 復刊の辞】
     2003年7月12日に発行した通巻100号を迎えたのを機に、休刊となっていた週刊GM研でしたが、約9ヶ月の休眠期間を経た2004年4月18日、週刊GM研vol.101として復刊を果たす運びとなりましたことを、読者の皆様に改めてご報告させていただきます。

     まずは、休刊宣言後から復刊に至った経緯についてご説明させていただきます。休刊の直接的な理由はvol.100のコラムでも書きましたが、最大の要因になったのは、執筆とネタの仕込みのために休日を丸一日潰してしまうことが大きな負担になっていたからです。そこで、ウェブサイト全体のリニューアル時に、ニュース・ミニレビュー・コラム、この3つを各コーナーとして独立させることで、集中的な負荷の分散を図ったわけですが、その目論見は大きく外れてしまいました。

     GM研の「メインコンテンツ」という位置づけだった週刊GM研とは違い、独立後は「1コーナーにすぎない」という、緊張感の無さと曖昧な締め切り、この2つの要素によってズルズルと更新ペースは落ちてしまい、結局、ミニレビューだけが辛うじて週刊コーナーとしての体裁を維持していましたが、それさえも、身辺が少しでも慌しくなるとレビュー本数の削減や掲載の延期を繰り返すようになり… このままではいけない。そう判断して、コンテンツの再編成に着手することにしました。

     そうして導き出した結論が「原点回帰」でした。敢えて自らに厳しいノルマを課し、文章を書くことに苦しみとそれ以上の喜びを感じていた、あの時の気持ちを思い出すために… 読者の皆さんの反応に一喜一憂して、決して現状に満足せず飽くなき探究心を持ってすべてに対峙することができた、あの時の自分を取り戻すために…

     そのために決断したのが、日刊GM研・週刊GM研・月刊GM研、この新たな3誌体制を発足させてGM研のメインコンテンツにする、というものです。これは、誰の目から見ても無謀な挑戦かもしれません。私自身、どこまでやれるのか、いつまでもつのか、こればっかりはやってみないと分かりません。しかし、戦わなくて後悔するよりも、戦って後悔する道を私は選びたいと思います。

     いかりや長介、イワエもん、横山光輝…2004年に入ってからというもの、訃報疲れしてしまうほど、あまりにも多くの名優や知られざる偉人が世を去ってゆきました。この世には、変わらない物なんて何もないんだ。そう痛感させられました。ヒトの価値とは、どれだけのヒトに惜しまれるか、何を残すことができるかで決まるのかも知れません。それは作品であったり人々の間に残る記憶であったり…ヒトが一生をかけてできることなんて高が知れています。ならばこそ、できることのすべてを今やっておかなくてはならないと思います。私にとってそれは、考え続けること・書き続けることです。果たして道の果てに何があるのか、私に何が出来るのかはまだ判りません。しかし、なりたいものになれるのは、なろうとした者だけ---なのです!

     週刊GM研は、毎週日曜日の発行となります。読者の皆様、今後とも御引き立てくださいますよう、よろしくお願いいたします。


    文責:GM研編集部編集長 gonta