同人誌バカ一代〜イワえもんが残したもの〜
書籍作者:岩田次夫、監修:米沢嘉博、三崎尚人
 著作集  同人界の妖精:イワえもん  1260円 
出版社:久保書店

「イワえもんが残したもの」とは?

 Dr.モロー先生が描いているコミケカタログのマンガに出てくる毒舌キャラクター「イワえもん」。若い世代にとっては架空のキャラのように思われている節もあるようですが、氏は実在する人物だったのです。拡大の一途を辿り年2回開催の事務処理させできなくなりつつあった当時のコミケに、スタッフとして乗り込み運営システムをほとんど一人で構築し、都内に一戸建てが買えるほどの私財を投じて大量の同人誌(約50,000冊)を買いまくり、批評家としても作家さんに忌憚のない感想を述べて支援し続け…誰が言い始めたかは定かではありませんが、いつしか岩田氏は「同人界の妖精:イワえもん」と呼ばれて敬愛されるようになっていました。老境を迎えてスタッフの第一線を退いてからも同人への情熱は衰えを知らず、全国各地の即売会で見かけられた同人誌を買いまくる岩田氏のその姿は、一種の風物詩のようなものになっていました。また、自ら買い集めた同人誌を使った見本誌読書会を定期的に開催するなど、独自に同人文化を次代へと伝えるための活動も積極的に行われていたのですが…

 しかし、2003年末に肺癌を宣告されてからは闘病生活に入りました。岩田氏が自ら伝えていた公開入院日記では術後の経過は順調でしたが、年明け以降容態が悪化し、2004年3月22日、岩田氏は肺癌に伴う重症肺炎により逝去されました。その知らせを受けた多くの同人関係者がその早すぎる死を深く惜しみました。2004年5月2日、東京ビッグサイトの会議棟で執り行われた偲ぶ会には、男女を問わず幅広い世代から1100名を超える一般弔問者が集まり故人の思い出話に花を咲かせました。そんな岩田氏が、これまで様々な分野で寄稿してきた記事を集めた、最初で最後の商業著作集、それが「同人誌バカ一代 イワえもんが残したもの」なのです。

同人界の妖精:イワえもん、最初で最後の商業著作集

 本書の大まかな構成は、「コミケットと同人誌界」「少女マンガ論集」「同人誌評とインタビュー集」「同人誌に関する個人論文」の4章構成となっており、巻末には後書きに代えて、岩田氏と親しかったコミケ関係者による座談会が収録されています。この一冊を読めば、同人誌の世界の成り立ち(歴史)、同人誌が抱えている問題の過去・現在・そして未来、すべて見通すことができるとともに、一般的には漠然としたイメージだけで捉えられることが多かった「イワえもん」という存在を、等身大の一人の人間として親しみを持つことができるでしょう。もっとも、想像を絶する「極限の趣味人」ですから、驚嘆はできても真似をすることは誰にも出来ないと思いますが…

 特に、岩田氏が少女マンガに造指が深いことは有名ですが、実際にその考察がどんなものなのか、一般の方が知る機会は少なかったと思います。少女マンガの定義、決定性、差異性、コミュニケーション、限界性、そして未来。これは10年近く前に書かれた記事ですが、今でもその考察の意味するものの重要性と分かりやすさは何ら変わりません。「作品にあるのは作者でもなければ作者の意志でもない」という分析は、私もレビュー書きの端くれとして深く考えさせられるものでした。論証としては完璧ではないかもしれない。しかし、敢えて雑誌に掲載してこれを叩き台にした反論と意見を熱望する。その姿勢があるからこそ、批評家として大上段に構えることなく、岩田氏は最後まで「ファンであること」の本質を見失うことがなかったのだと思います。

偉大なる先人が最前線で闘い守り育てた文化

 私は何かと岩田氏を目標にした発言をしているため、あたかも信奉者のように思われている節があるようですが、私は岩田さんの思想に100%無条件で賛同しているわけではありません。お手本というにはまだまだ遠すぎる存在だから、完全に同じ視点で物事を観れる境地には達していないし、時代と共に変化していく社会環境の中で、同人文化が果たすべき役割や課題も変わって行きます。拡大を続けて最早「すきま産業」では済まないほど巨大化した同人文化を、市場としても文化としても、いかにして継続的に発展させていくのか?難題はあまりにも多いが、まずは歴史に学ぶことから始めよう。発展的な方法論レベルで相違はあれど、基礎を固める教科書としては、本書は最適だと思います。

 岩田さんが残した数々の功績は、公式な出版文化史の記録としては歴史に残ることはないでしょう。しかし、私たちは誰もが知っています。そして、いつまでも忘れることはないでしょう。人生のすべてを賭して「ファンであること」を貫いた一人の人間の情熱が、同人という文化を最戦線で闘い守り育ててきたという事実を…改めて、謹んでご冥福をお祈りいたします。そして、私も微力ながら、岩田氏の目指した理想に少しでも近づけるように、今後もより一層精進を重ね続けたいと思います。真剣に同人誌という文化に向き合ってみようという気概のある方には、是非読んで欲しい一冊です。

First written : 2005/02/20
Last update : 2005/08/21