GM研 ゲームレビュー
「Ever17」とは? 近未来の海洋テーマ―パーク「LeMU(レミュウ)」に発生した謎の事故によって、51mの海中に閉じ込められた7人の男女の脱出を描いたSFアドベンチャーゲーム、それが「Ever17」です。閉ざされた外部との通信、水圧と浸水の恐怖、致死性のウイルスの蔓延、LeMU完全圧潰まで残された時間は119時間…迫るタイムリミットの焦燥と混乱の中、彼らはやがて気付くことになる。この不自然な状況が人為的に仕組まれたものであり、彼らがここに居合わせたことは決して偶然ではないことに… 見え隠れするライプリヒ製薬の影と謎の少女ココの存在。倉成武と記憶喪失の少年、2人の主人公の視点のズレから生まれる不確かな違和感。全員脱出(もしくは死亡)後に残される「生体反応:1」の表示… 謎の断片を追いかけていくうちに、彼らは真実に辿り着く。無限の繰り返し(infinity loop)に閉じ込められた、過酷な過去と、閉ざされた未来に… 『Never7 -the end of infinity-』の流れを汲むサスペンス恋愛アドベンチャー、それが「Ever17 -the out of infinity-」なのです。 かつて交わした約束と、いつか還るべき場所へ… ギャルゲーの構造を逆手に取ったSF意欲作 恋愛アドベンチャーゲームというものは、通常は主人公の1人称視点で進行するものであり、主人公自身の姿は見えない(もしくは前髪で目線を隠した姿程度)ものである。しかし、「EVER17」は、倉成武と少年という2人の主人公の視点を選択させることで、この”視点”の構造そのものを逆手に取り、”主観”としての視点だけでなく”空間”としての視点によって、謎を巧妙に隠しつつ特殊な世界観と巧妙に構築された罠にプレイヤーを引き込むことに成功しました。この手法そのものは前例が無いわけではないが、一歩間違えればすべてを台無しにしてしまいかねない危険性をも孕んだ手法です。しかし、遊び手を「騙す」こと自体に大きな意味を持たせた今作は、稀有な成功例だと思います。 あらゆる設定に意味や必然性があったのも非常に面白かった。聞きなれないドイツ語の表記自体にも必然性があったし、「T.Y」というイニシャルの扱い方も上手かった。RSD(Retinal Scanning Display)、飽和潜水仕様、第3視点、ピグマリオン伝説、など多用される科学・哲学・医学・考古学などの専門用語も、世界観の強化とともに謎のスパイスとしても一役買っている。これらの設定の面白さは、SF(サイエンス・フィクション)作品として見ても、非常に高いレベルで完成された”意欲作”だと高く評価したいと思います。 ever〔副〕いつも,常に,絶えず,いつまでも,永久に 惜しむらくは、恋愛物語としてはプロセスが消化不良ぎみであることと、キャラクターの攻略順が自由であるがゆえに、シーンの整合性と謎の解釈に”紛れ”が起きてしまうことである。ベストの攻略順には諸説あるようだが、おそらく唯一の答は存在しません。重要なのは、攻略の際に間隔を空けないで一気にプレーすることであり、なるべく先入観を持たない状態で「気持ちよく騙されること」にあるのですから。でも、これらのマイナス要因は結局は些細な問題であり、ヒロインへの感情移入と謎への好奇心が勝るため、ゲーム中にはさほど疑問には感じないでしょう。 ゲーム序盤の掴みの弱さや、謎が解けないまま30時間近い前フリを悶々と過ごさねばならないなど、超えなければらないハードルは決して低くないが、ゲーム終盤にすべての謎が怒涛の勢いで1点に収束していく知的興奮と、それまでの苦労がすべて報われる最高のハッピーエンドのためなら、決して損だとは感じないでしょう。 久しぶりに「誰かとトコトン語り合ってみたい」そんな気持ちにさせてくれたこの名作が、ギャルゲーという見た目と偏見によって、世の大多数のゲーマーの目に止まることなく敬遠されてしまうことがないよう、切に願いたいものです。 First written : 2002/09/13
Last update : 2003/10/14 ※この選評は重度のネタバレを含んでいます。「Ever17」は謎がすべてゲームであり、例え僅かでもその答えを知ってしまうことはゲームの楽しみを致命的に損なう恐れがあります。ネタバレの部分は白文字で隠してありますので、ゲームをすべてクリアした方のみ、選択反転させてお読みください。なお、この注意を無視してネタバレ部分を読んでしまった場合、GM研は一切責任は取りかねますので、くれぐれもご注意ください。 田中 優美清春香菜
松永 沙羅
茜ヶ崎 空
小町 つぐみ
八神 ココ
※このドラマCDは、ゲーム本編クリア後のエピソードであり、完全にネタバレです。読者の皆様の自己責任において白文字を反転させてお読みください。 まず、タイトルの「2035」、この時点で早くも完全にネタバレですね(ゲームをやってない人には全く意味不明な数字でしかないけど)。ドラマCDの舞台は、ゲーム本編のエンディングから1年後の2035年。17年の呪縛から解放され、動き始めた登場人物たちの時間。だが、彼らは新たな問題に直面する。それは、実体を持つ人間となった茜ヶ崎空が、容量爆発を抑制するプログラムによって感情システムを蝕まれ始めたことである。三度集結した彼らは、空を救うことが出来るのか?
ゲーム本編では、物語後半の怒涛の展開に押し流されてしまい、記憶も戻らないまま少々曖昧な存在のまま終わってしまった「2017年の少年=2034年のニセ倉成武=桑古木」を主役にして、大団円の中何気にカップリングから漏れてしまった空とのカップリングを成立させたのは、ごく当然の成り行きだと思います。倉成武とココを救うためだけに17年もの年月を費やして第三視点計画を成し遂げた彼にとっても、LeMUシステムから解放された空にとっても、事件の終わりはゼロからの新しい始まりだったのですから。
ストーリーとしては、ベタだけどなかなか面白い展開だったと思います。惜しむらくは、「倉成先生(武)に恋をしていた自分」を空があっさりと流してしまっていることです(感情喪失騒動でそれどころではなかったんだけど…)。桑古木の中では武への憧れとコンプレックスが消化されるまでのプロセスがしっかりと描かれていますが、空自身が武にそれほど拘っていないので、嫉妬とか想いを断ち切るとか、そういう感情の深い部分での心理描写が弱くなってしまいました。ラストシーンで私が泣けなかったのは、空の涙の意味を計りかねたからです(後になってよく考えてみれば、そうした一連の出来事はBWによって空にも伝わっている、とも解釈できますけどね)。
また、原作の性質が性質だけに、設定面でのツッコミどころも満載です。音だけのメディアだから致し方無いが、姿形の無い高次元存在:BW(ヴリック・ヴィンケル)召還を風で表現したり、なぜBWの視点を春香菜がライブで認識できるのかとか、BWに意志があるかのようにしゃべらせてしまうのはどうかと… ライプリヒ製薬の巨悪が明らかになって崩壊したにも関わらず、懲りずにLeMUがまた再建されたというのもなんだか妙な設定ですな。それに、あたかも危機を予期していたかのように、BWがキスしただけで出てくるなんて…17年かけてBWを召還した春香菜さんと桑古木の立場は一体?うーむ…
しかし、それらすべての要素を考慮して総合的に評価してみると、一般的なゲームのドラマCDに比べれば遙かに魅力的なドラマCDだと思いますよ。企画モノの色合いの強い外伝的なパラレルストーリーではなく、あくまで正統な後日談に仕上げようと奮闘した、ドラマCDのスタッフの姿勢に好感が持てます。ゲーム本編は、ゲームという構造を巧みに利用して、遊び手を最後まで「騙しきった」からこそKID作品史上空前の高い評価を得たわけであり、同じアプローチで音だけのメディアで、たったの56分程度の尺でそれを表現するのは難しい。それは当たり前である。しかし、「ゲームを完全にクリアしている事」を前提にしてターゲットを絞込み、そしてそんな猛者たちを満足させる妥協の無い作品作り、それができれば、音だけでもここまでやれる。そんな物作りの基本を思い出させてくれる1枚だと思います。
Last update : 2003/02/14
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