第十回GM研所長講演
はじめに
インターネットブームによる爆発的な普及を遂げ、IT革命の大波に乗ってまもなく高速回線による常時接続時代に突入しようとしているネットワーク世界の真っ只中の今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか?
…季節の挨拶なんて書いたことがないので、変な挨拶になってしまいました。今回のGM研所長講演は作者急病(本当)のため、10月7日に名古屋での同人誌即売会で増刊GM研として発表した「ネットワークにおける議論の在り方」の再録改訂版をお送りいたします。
ネットワークコミュニケーションの現状と問題
皆さんは「ネチケット」という言葉をご存知でしょうか? これはインターネット社会の作法やモラルの総称として生まれた「ネットワークエチケット」という造語の略称です。しかし、これは法律ではありませんし、明確な基準があるわけでもありません。時と場合に応じて都合よく解釈されて使用されているので、「ネチケットを守りましょう」と言われて不快な思いをしたことのある人も少なくないと思います。
急速に普及した環境に、使う側の技量とモラルが追いついていないのが、現在のネット社会の実情です。IT革命を連呼しているのは製造業の幻想に過ぎません。上辺の便利さばかりがもてはやされ、流行と消費を誘導するばかりで、使う側に対する啓蒙努力はまったく行われていません。その歪みのツケが徐々に脅威となって現われ始めています。
「出会い系サイト」でのお手軽な恋愛と売春行為、大阪池田市の小学校で起きた小学児童大量刺殺事件、そして、黒磯の少女誘拐事件… 以前では考えられなかったタイプの犯罪が日常的に多発しています。この3つの事件の共通項は「コミュニケーションの不全」です。仮想と現実の境界線上でのネットワークコミュニケーションは、便利であり魅力的ですが、それは一歩間違うと大変なことになることを、是非ご理解いただきたい。
漫画ネタ掲示板無期限閉鎖の真相
それでは、ここから本題に入りましょう。今回は、須賀原洋行先生(以下、S先生)の公式ファンホームページ「須賀原洋行先生のお部屋」で実際に起きた騒動を例にして、ネットワークにおける議論の在り方について考察してみたいと思います。まずは、その漫画ネタ掲示板がなぜ無期限閉鎖になってしまったのか、経緯を含めて解説しておきましょう。
事の発端は「最近のS先生の漫画はつまらない」という些細な発言でした。この発言に対して「批判をするなら具体例を挙げるべきだ」という擁護派の反論がすかさず出されると、それに反発するように「批判を圧殺するな」という声が上がりました。すると、今までROM(Read Only Member)を決め込んでいた読者が堰を切ったように次々と論争に参戦し、両極端の意見が入り乱れて議論は空転し、収拾がつかなくなり泥沼化して行きました…
事態を憂慮した管理人さんとS先生が協議した末に、漫画ネタ掲示板の無期限閉鎖が決まりました。その後は、感想・批判は作者宛てに直接メールで…ということになりましたが、問題の火種は今でもくすぶり続けています。現在唯一稼動している「ファン交流掲示板」においても、読者が過剰にナーバスになってしまい、何気ない挨拶が感想と混同されて解釈されて攻撃されるという問題が発生しています。
しかし、漫画ネタ掲示板の無期限閉鎖は「感想や批判をしてはいけない」という意味ではなく、「掲示板でファン同士の論戦をして欲しくない」というのが、管理人さんとS先生の真意だと思います。「いかなる批判も正面から受け止める」のがプロの義務であり、本来あるべき姿勢です。S先生も「まんがくらぶ」に掲載した作品中で、今回の騒動の顛末を描くことによって、明確な指針を示しています。論戦の中でファン同士が中傷しあって不快な思いをする人がひとりでも出るという事は、ファンひとりひとりをとても大切にしているS先生にとって耐えがたい事なのだと思います。
私自身も15年来のS先生漫画のファンですので、ファンの心理はよく分かります。自分でもホームページを運営しているので、管理人さんの大変さもよく分かります。同人誌とはいえ、漫画を描いたこともあるので、S先生の偉大さも身に染みてよく分かります。
今回のこの講演は、問題の再定義を目的としたものであり、問題の根本的な解決にはならないかと思いますが、この問題に対して、皆様が考えるきっかけに少しでもなることが出来れば幸いです。
※その後、S先生とお会いした時に管理人さんを交えて協議した対応策と、読者の皆さんの良識によって掲示板は元の姿を取り戻すことが出来ました。ファンと作者の交流の場が守られたことに、心から安堵しました。
掲示板の方法論
ここからは、なぜ掲示板の方法論が問題になっているのかを考察してみましょう。
私は大学時代、日本語の構造解析手法を研究していました。それだけに、日本語がいかに豊かな表現力を持つ美しい言語であるかという事も、また、それゆえにいかに難しい言語であるかも良く知っています。ほんの些細な説明不足から誤解が生まれることも多々あります。掲示板のように、最小限の言葉で物事を伝えるということは、本当はとてつもなく難しいことなのです。日本語があまりにも難しいからこそ、言葉を補完するための挿絵という概念が生まれ、今日の漫画文化の繁栄に繋がったとすら言えるのです。その起源は片仮名と平仮名という日本語が発明された平安時代に遡り…という歴史マニアなお話は、後日改めてどこかで書きたいと思います。
私は常々「掲示板では本当の議論はできない」と言ってきました。掲示板の本来の用途は「公開コミュニケーション」であるべきだと思います。使い方次第では、メールやチャットよりも便利で愉快なものにも成り得ます。では、「議論はコミュニケーションではないのか?」という疑問が当然湧いてきます。議論というものは「結論」を導くための過程であり、結論が出るということは「勝ち負け」があるということです。しかし、掲示板での議論はほとんどの場合、空転したまま何の結論も出ません。不特定多数の参加者が順序無関係に発言できるので、誰に対して反論すればいいのか分からなくなって論点がズレてしまうし、時間制限もありません。CM待ちも司会者もいない24時間「朝まで生テレビ」状態です。勝者も敗者も生まれない掲示板議論は不毛なだけです。
だからといって「議論するな」と言いたい訳ではありません。発言するということは自分の考え方を再確認するということであり、議論の中でこそ生まれてくる発想もありますし、自分の間違いにも気づくことが出来ます。しかし、それは明確な議題と、整然とした論理の誘導と、公正なルールがあってこそ、初めて成り立つものなのです。議論として成立しない「ニセ議論系」の掲示板は、某有名掲示板(悪い意味で影響力がありすぎるので実名は伏せさせていただきます)のように言葉の公害とすら言えるのです。
実際に、議論専用の掲示板として成功を収めているHPのケースもないわけではありませんが、それはとてもイチ個人が趣味のレベルで行えるようなものではありません。公認とはいえ非営利の純粋なファンHPにそこまで要求するのは、身勝手を通り越して失礼だと思います。どうしても議論がしたければ、自分で掲示板を立ち上げるくらいの気概が欲しいものです。
結論
さて、そろそろ結論に入りたいと思います。
まず、常に意識しておかなければならないのは、ネットワークの先にいるのは自分と同じ人間であるということです。言葉ですら伝わらない気持ちを、文章だけで伝えるのはとても難しいことです。相手の顔が見えないからこそ、言葉を尽くして少しでも真意を伝えなくてはならないのです。「言葉だけでは伝わらないものがある」という言葉は、言葉を尽くした人間にだけ言う権利があるのです。
自分が好きなものに対して、臆面も無く「好きだ」と言う事は、案外難しくて行動力の要る行為ですし、好きだからこそ許せない部分が出てくるのも、ごく自然なことです。そして、その感覚を同じファン同士で共有したい、あるいは議論を戦わせてみたいと考えるのも、至極当然のことです。従来まではそう考えたとしても、その手段は作者へのファンレターなどの一方通行であり、ファン同士の横つながりの直接的な交流は、地元あるいはパソコン通信のチャットなどの例外を除いて不可能でした。
しかし、インターネットが標準コミュニケーションになった今では、誰もが気軽に掲示板の書き込みや電子メールを通じた交流ができるようになりました。公式ファンHPや自作HPを持つ漫画家も増え、作者本人とファンとの距離も比較にならないほど縮まりました。しかし、交流帯域の拡大に交流の中身(密度)が追いついていないのが現状です。急速に広がった世界に誰もが戸惑いながら、手探りで新しいルールを見つけようとしています。その紆余曲折の中で衝突が起こるのは必然です。問題は、その衝突からどのような教訓を得て、行動に移すことができるか、であると思います。
「情報は共有され活用されてこそ意味がある」というのが私の持論です。情報の考え方そのものが変わらない限り、IT革命は単なる製造業の方法論改革で終わってしまいます。まずは個人レベルの情報意識改革から始めましょう。時代に取り残されることを恐れるのではなく、何事にも流されない確固とした自己を確立すること、それが何時如何なる時代においても基本になるのですから。
それでは、以上で第10回GM研所長講演を終了したいと思います。
御静聴、誠にありがとうございました。