monthly GM-ken Head Lecture

 第八回GM研所長講演

読書論
2001/09/01

読書論

 今回のGM研所長講演は「読書論」と題して、漫画に関する問題提起をしてみたいと思います。この問題は現在進行形であり、私の頭の中でも完全に整理されていない問題であり、論旨に混乱や迷いが出るかもしれません。ゆえに、今回の講演の中では、敢えて結論を出しません。これは自分自身に向けた問題提起でもあるのですから…


gonta流読書術

 私の本棚を一度でも見たことのある人は、まずその量に驚き、次にバリエーションの多彩さに驚きます。少年・青年・大人・ギャンブル・ゲーム系・アニメ系・少女・小説、果ては同人誌まで…そのどれにも偏ることなく整然と本棚に満載されています。

 普通は買っている雑誌に偏る(ジャンプ系・サンデー系とか)ものなのですが、それがまったく感じられない…のは当然のことです。何しろ、私は漫画雑誌を一切買いませんから。漫画雑誌は100%立ち読みです。ですが、その量が半端ではありません。月間30誌までは数えていましたが、今ではもう把握できません。

 しかし、それだけの数をこなすとなると、イチイチ全部の漫画を読むのは不可能です。【単行本待ち】【雑誌のみ】【新発掘】というように目的意識をもって作品を分類しています。【単行本待ち】はクオリティに全面的な信頼を寄せている作品なので、ストーリーだけ流し読みします。モノによっては(特に感動系)連載では読まずに単行本が出るまで読まないものもあります。【雑誌のみ】は単行本は買わないのでじっくり読みます。【新発掘】は1作品につき10秒もあればできます。漫画はインスピレーションがすべてですから。大体1雑誌あたり3分以内で読んでます。

 新刊漫画に掛けるお金は、だいたい月1万円。多いときは1万5千円を越えることもあります。金券ショップで買った図書券で支払うので4%OFF。さらにポイントカードの合わせ技で最大9%OFF! 古本屋は学生時代に読み倒しましたが、今は時間がもったいないので行きません。漫画喫茶も行きません。ある意味で自分の本棚の方が充実してますから。

出版不況の真実

 かつては不況知らずと言われた漫画業界ですが、今や確実に出版不況の波は漫画業界にも押し寄せています。TVゲーム・携帯電話などに時間とお金を奪われ、若者の活字離れも一層進行し、確実に市場規模が縮小している中、再販制度の抜け道を利用した、いわゆる「新古書問題」が勃発した。

 そもそも、再販制度というものは、戦後まもない時期に国民の知的水準向上のため、地方や書店規模に関わらず本を配布するために、定価販売と委託販売を義務付けた制度である。委託なので売れなければ返本もできる。だが、この制度によって出版社は大量の返本在庫というリスクを抱えることになってしまった。返本率を下げるために発行部数を減らし、需要がなくなればすぐに絶版にしてしまう。乱発される復刻本。飽和状態をとっくの昔に取り越している書店の漫画棚。しかもカバーが掛かっているので試し読みもできない。読者が「安くて・立ち読みができて・品揃えのいい」古本屋に流れてしまうのは至極当たり前の選択だと思う。

出版業界の許されざる罪

 ある時期から突然書店の漫画にはカバーがかかってしまい、立ち読みが出来なくなったのだが、これは漫画史上最悪の誤りだったと思う。なぜなら、これによって書店は「本を探すところ」ではなく、「本を買うためのところ」に変わってしまったのだから。

 言葉の上では大きな違いは感じられないかもしれません。むしろ鬱陶しい立ち読み客を撲滅できて効率が良くなるように聞こえるでしょう。しかし、ただ本を買うためだけなら本屋なんて必要ないのです。書店よりも便利な立地条件で24時間いつでもコンビニで雑誌や新刊漫画は買えてしまいます。

 漫画にカバーがかかってしまったため、自分好みの漫画を探すには雑誌を読むしかありません。しかし雑誌読書率の向上は「雑誌読み捨て型」の読者を増やしてしまい、ますます単行本は売れなくなります。雑誌では過去をフォローできないので、過去の名作は新規読者の目に触れることの無いまま、カバーをかぶった状態で眠りつづけて返本・絶版されてしまいます。…これは「漫画の歴史」を分断する大事件だったのです!

 約10年が経ち、もはや問題は取り返しのつかない末期状態に突入しています。漫画の読み方の本質を忘れてしまった読者と、過ちを認めないまま責任を新古書に押し付ける出版業界と、営業努力をしない書店…よってたかって漫画文化を滅ぼそうとしているようにしか見えません。なんとも嘆かわしくも情けないことですが、これが漫画先進国日本の実情なのです。

立ち読みは是か非か?

 中学生のころの私は、学校の近くの本屋での立ち読みを日課にしていました。とにかく無差別に漫画棚を読破しました。2時間3時間の立ち読みは当たり前。でも、そのお陰で漫画読書力と審美眼が鍛えられたし、普通なら絶対に読まないようなマイナー漫画家の作品にも出会うこともできました。

 これだけだと私は典型的な「書店の敵」ですが、私にも良心というものがあります。雑誌や参考書はその書店で買うように心掛けていたし、なけなしの小遣いをやり繰りして本当に気に入った漫画は買っていました。書店の会計上では圧倒的なマイナスだけど、立派な(?)漫画バカ一代を育成することで将来的にはプラスに転じる…という考え方もあると思います。(実際に、私は既に当時のマイナスを上回る金額を漫画に費やしていますし、今後もおそらく死ぬまで漫画を買いつづけるでしょう。この先の生涯で通算すると家を買える位の額面になるかも知れません)。

 立ち読みは短期的に見ればマイナスです。しかし、長期的展望に立てば経済力の乏しい青少年の漫画読書力の養成は必ずプラスに働きます。私のような漫画読みも増えるだろうし、将来の天才漫画家が出てくるやも知れません。そう、立ち読みの復活は漫画業界起死回生の最高の営業戦略カード…なのですが、そのカードが切られることは永遠にないでしょう。

漫画はどこに行くのか?

 緩やかな衰退が止まらない漫画業界にさらに追い討ちをかけているのが、同人誌の存在です。近年急速に市場規模を拡大している同人誌業界ですが、著作権上では限りなくグレーゾーンの決してメインにはなれない存在です。しかし、それ単独で市場として成立してしまう規模になってしまうと、商業誌と同人誌の境目がなくなってしまい、商業デビューを志す者が減ってしまいます。むしろ最近は商業誌の傾向自体が同人寄りになってきている体たらくです。元ネタあっての同人誌なのだから、このままでは共倒れになってしまう危険すらあります。

 漫画は日本が世界に誇ることのできる文化産業です。今や日本のイメージとは「相撲レスラー、富士山、芸者、テンプラ」ではなく、世界を席巻する三大メイド・イン・ジャパン「漫画、アニメ、ゲーム」です。特に、漫画は出版物という性質上、通常ルートでは大々的に海外流通させるのは不可能なのですが、それにも関わらず「日本の漫画が読みたいがために日本語を勉強したい」という海外の若者は後を絶ちません。現在の日本漫画界にはその需要に応えるだけの余裕も自覚もないことは、なんとも嘆かわしいことです。

 私自身、先日初めて同人誌を描きました。漫画を描くことの大変さを実感し、在庫へのリスクに怯え、読者様からの反応に一喜一憂… この経験から分かったことは、「漫画を面白くしていくのは、名もない一般読者なのだ」ということです。作品を育てるのは良き観客であり、その中から創作を志す者も出てきます。今後、出版媒体が本からデータ配信に変わったとしても、読者と作家の関係は変わらないでしょう。

 これからも私は堂々と誇りを持って漫画を読みつづけるでしょう。そして、語り続けるでしょう。いつか次の世代に託すことのできる、その日まで…

2001/09/01 GM研所長 : gonta


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