第三回GM研所長講演
はしがき
2001年2月18日、大阪日本橋、とらのあな・なんば店にて、声優「冬馬由美」さんの小説家デビュー作「ワイルド・エンジェルス」の出版記念サイン会が開催されました。冬馬由美さんは「ああ女神さまっ:ウルド」「ロードス島戦記:ディードリッド」などを演じてきた人気声優であり、私もファンのひとりでした。耳早にこのイベントの情報を聞きつけ、予約整理券を入手して喜び勇んでサイン会当日を迎えたのですが… まさかあんな事件が起ころうとは想像もしていませんでした。事件としては未発で済みましたが、この事件は私に非常に重大な問題提起をもたらしたのです。その問題に対するひとつの結論から生まれたのが、今回発表する「異端論」なのです。
無礼者!
サイン会当日は定員一杯の約150人が集まりました。サインは小説の裏表紙にしてもらうもので、一人頭僅か1分弱でサクサク進行。私の番がもうすぐ回ってこようという時に、私はとんでもない失礼な発言を耳にしました。
「イベントって、これだけ? ちぇ、損しちゃった」
典型的オタク臭を放つ無礼極まりない小太り男のこの発言に、私はブチ切れかけました。ずうずうしいにも程がある! 無料のイベントにこれ以上何を望むのか! よしんば「物足りない」と思ったとしても、それは店を出てから言えばいいことだ。冬馬さんの耳に届く所で言うなんてもっての他である!
その心無い発言を聞いた時の冬馬さんの残念そうな顔が忘れられない。そりゃあ冬馬さんだって、もっとファンとの交流を持ちたいだろう。自分の初めての小説を買ってくれた人すべてに感謝したいだろう。感想も直に聞きたいだろう。だが、それをやってしまうと収集がつかなくなってしまい、イベントを企画したお店に迷惑が掛かるし、スケジュールが狂って仕事関係者にも迷惑が掛かる。だから「営業」の範囲内でイベントをこなさなくてはならないのだ。そんなこと、ファンなら察して当然だ! この厚顔無知な無礼者を殴ってやろうかと本気で思ったが、それはもっと冬馬さんを悲しませることになるので我慢しました。その代わり刺すような視線で無言の警告を送ったが、男はその視線にも「何が悪いんだ」といわんばかりの顔で帰っていった…
心からのありがとう
そんな不快極まる事件の数分後、私の番が回ってきて本の裏表紙にサインをしてもらった後、冬馬さんは自ら私に握手を求めてくれました。なんて優しい人なんでしょう… あの不敬の輩の発言に怒るでもなく、ファンのみんなに「不快な思いをさせてしまって申し訳ない」「サインだけでごめんなさい」とすら思ってしまうとは… 差し出された手と、どこか寂しげな表情の奥に隠された冬馬さんの本音… 痛いほど伝わって来ました。
私はその好意に甘えさせてもらいました。しっかりと握手を交わし激励の意味をこめて「ありがとうございました」という言葉が自然と出てきました。冬馬さんが私の後に続く100人余り全員と握手した…のかどうかは見ていないので判りませんが、多分冬馬さんの性格からしてやってしまうでしょう。サインと握手で肩が上がらなくなっても、決して笑顔を絶やさないで…
怒り、そして…
今回の一件で、私は「おたく」という種類の人間には本当に愛想が尽きた! 今まで私は彼らには、この手の趣味の先輩として一定の敬意を払ってきたが、それは大いなる勘違いだった。彼らは本当に恥知らずで、世間知らずで、世界の全てから逃げ出した卑怯者である! 奴らが自分の世界に閉じこもるのは勝手だが、自分の外にも世界が存在するという事を忘れるな! 自分を中心に世界を考えるな! むしろ自分は世界の異端者であると自覚しろ! 異端者としてのプライドを持て!異端者を異端たらしめるのは、世界に背を向けることではない! 世界と正面から向き合い「突き抜ける」ことなのだ! 常識の無い異端者は「落伍者」でしかないのだから!!
異端論
異端という言葉にはいいイメージがないかも知れない。しかし、美辞麗句と温室の中では新しいものは生まれてこないのです! 「麦は踏まれて強くなる」という言葉があるように、規制の中でこそ真に自由の価値が見出せるのです。
そして、新しい物事というものは常に世の中の常識から外れたところから始まるものである。世界の庇護の外側にあるということ自体が迫害の対象であり、有史以来数多くの天才や発明が弾圧されては消えていった。だが、それらは同時に非常に魅力的なものでもあるのだ。敢えてその道を行こうとする者は決して絶えることは無い。なぜなら、それは人間社会の発展に欠かせないものであり、必然であるからなのだ。世界を拡げ続ける、夢を見続けるのが人間の性であり業なのだから…
しかし厄介なことに、その物事の存在が大きくなって定着してしまうと、異端は異端でなくなってしまうのだ。社会的に存在価値と経済価値が認められ、文化と経済の一翼として社会に溶け込んでいく。それはごく自然な流れである。異端同士の激しい競争を勝ち残った者だけが手にすることができる特権なのだ。
だが、例外も存在する。それが現在「おたく文化」と呼ばれる分野なのである。産業としても文化としても巨大化したが、未だにサブカルチャー時代の悪常識から脱却することができていないのだ。最早彼らは異端者ではない。社会的に当たり前の趣味を謳歌する一般市民なのだ。それでも異端者面して特権意識を振りかざす者は、「落伍者」でしかないのだから!!
だからこそ社会文化の常識を基準として物事を判断しなければならないのだ。狭い範囲では通じていた馴れ合いや自己中心的な態度は慎まれるべきであり、前述の無礼者のような言動は文化そのものを失墜させかねない大問題なのである。
私は「異端者としてのプライドを持て!」と言いましたが、それは「異端者となって文化を切り開く勇気・文化を育てる心・文化を守る行動」を意味しているのです。たとえ世間一般に認められていないものであっても、自分の「好き」という気持ちに素直になって、その成長を温かく見守ることができる事を誇りに思って欲しい。新しい文化という可能性を育める喜びを知って欲しい。そして、後に続く者たちのための模範となって欲しい。それが私の願いなのです。
あとがき
久しぶりに論文らしい論文を書いたような気がする。やはりこういう論文は勢いで書いてしまうに限る。素材自体は日記に加筆修正をして論旨を展開したものなのだけど、この方式は非常に楽だった。こういう論文を書くに到った動機が良く分かるし、結論が先に出ているので論理が破綻をきたすこともない。日記の重要性を再認識するよい契機になったと思う。
日記は単なる日常の記録ではなく、人生の記録なのだ。どんなに些細な出来事であっても、それはその人の人生の一ページであるのだから。それをどう感じるかはその人次第ですけどね。真実はいつもひとつとは限らない。だからこそ人間は面白い!
私は異端者としてのプライドを持って、今後も己の信じる道を目指し続けます。
何かに夢中になれるのはとても素晴らしい事です。
大人になって現実を知って、それでもなお夢を見ることが出来る…
それが本当の意味での「幸せ」なのかも知れません。